世界初!ジュエルA.A化粧品が誕生するまで〜パート3〜

皆さんこんにちは。阿部です。

今年はオリジナルブランドジュエルAA化粧品発売スタート、南青山店オープン、など海外からのお客様も多く、多忙な日々が続いておりしばらくブログを留守にしておりましたが、連続5回にわたり、世界初!光マイナス電位ジュエルAA化粧品誕生までを簡単にまとめて見ましたので是非ご覧下さい。

今回はパート3です。


この商品にたどり着くまでの流れを簡単にまとめてみました。

19979月より約10年間移住していたオーストラリア ゴールドコーストの真上にはオゾンホールがあり、皮膚ガン発生率がとても高い地でした。それにもかかわらず、その地の女性達の美容習慣として、外的刺激の影響で硬く、こわばった皮膚のスクラブ美容や、身だしなみのワックス脱毛などにより、強い紫外線から体を守るために本来必要な角質層に多大な刺激を与えていました。

そこで、ゴールドコースト市内の日本の大手エステサロン○○○エステ様が3年で撤退した後をお借りして、エステサロン「オーシャンドリーム」をオープンし、2006年の4月契約満了まで運営をしました。「皮膚理論に基づいた正しい知識の中で少しでも強い紫外線から体を守る肌作り」として、オリジナルの RGフェイシャル法を確立させました。

オゾンホールがある紫外線の強い土地、その上極度な乾燥と硬水、お肌にとって最悪の3つの条件が揃ったこの地で、もし、健康で美しい肌を作ることができたら、世界のどの場所でも美肌作りに成功すると考えていました。

当時、6室とスパが3つ付いた大きなサロンでしたが、このRGフェイシャルエステが、広がりをみせていく事を感じ、2年目には多くのご利用者様にご来店いただくようになりました。

これまでの現地の方々の常識とは逆に「お肌は擦ったりしてはいけない」「できるだけ酸化の原因となる油分保湿に頼らない」との、これまでの常識とは違う美容法が取り上げられ、当時オーストラリアでは一番大きな日本新聞の「ニチゴウプレイス新聞」に長い間、美容コラムを書かせていただくことになりまし た。

確かに日本国外で美肌作りを極めようと肌にとって過酷な土地で長期挑戦した美容家は珍しいかもしれません。


パート4へ続く